猫のように気ままに生きたい 日記 最近けっこう気ままに暮らせている自分に気づく

最近けっこう気ままに暮らせている自分に気づく

タイトル通り、ふと思い出した頃に「久々に更新してみようかな」と気ままに綴ってきたこのブログも、気づけば6年経っていた。
初めて書いた当時は、いわゆる社畜生活が嫌で嫌でたまらなく、文章にして思いを吐き出すことで、何とか日々の生活を保っていた気がする。

それから6年。コロナ禍でのリモート生活や働き方改革を経て、猫のようにとはいかないまでも、社畜というほどには窮屈な生活ではなくなっていたことに気づいた。

自分の職場では、コロナ後はなるべく出勤しようという動きはありつつも、例えば嵐の日とか腰痛が酷い日でも気合いで出勤しろ!という空気は皆無になった。
仕事の効率が上がると自分で思うから出勤するし、そうでなければ在宅もOKという風潮だ。
これは大きい。毎日毎日同じ時間に通勤電車に乗せられて9時10分前までにはデスクに着かねばならない…なんて苦行でしかなかったが、今は自分の意思で出勤を選択している、という感覚がある。
(コロナを経て、車通勤できるようになったのもありがたい)
「行かねば」から「行こう!」に変わってきた。

勤務時間も、残業当たり前、上司がまだ働いてるから帰りにくいと気遣い残業までしていた日々から、自分が納得したところまで働いたら、スパーンと帰るようになった。
もちろん、ペーペーだった新人時代から、自分の役割が見え、会社全体が見えてきて、仕事がおもしろく、自主的に動けるようになったというのもあるだろう。

人付き合いに関しても、自分にとっては苦痛だった全員参加の飲み会などは激減し、かと言って人間関係が希薄になったわけではなく、より趣味や気の合うメンバーとの交流は増えたように思う。
自分は自転車に乗って気ままに行けるところまで行くのが好きなので、そんな仲間が集まったサークルに入った。
誰かがふっと提案して、行きたいと思った人だけ一緒に走ろう的な、ユルい感じがとても合っている。

コロナや災害を目の当たりにして、
「人生は1度きり。いつ終わるかわからない。自分に合わないことを我慢している暇はない。悔いのない毎日を!」
と、きっと誰もが潜在的に感じたに違いない。
そんな思いが、社会を革新的に動かしたんじゃないだろうか。

野良の仔猫の生存率は低い。
実は過酷な日々を、五感を研ぎ澄ませて生き抜いてきた猫たちだけが、気ままに生きられるんだ。
気ままに生きるには、自己研鑽が要る。

そんなことにやっと気づいた、社会人8年目の自分でした。